前参議院議員 生活の党 森ゆうこさん

皆様こんにちは!ご紹介いただきました、生活の党の森ゆうこでございます。

 

私のほうは何も後ろに映し出すものはありません。トークだけですいませんけどよろしくお願いいたします。

 

7月の参議院選挙。山本太郎さんに応援に来てもらったんですけども、残念ながら惜しくも自民党、民主党の候補に負けまして。12年間ごく普通の生活者の代表として国会で、参議院で頑張ってきて、12年経ってせっかくいろんな経験もして。

そして特にこの放射能の問題。「放射能から子どもたちを守る」というこのシンプルな目的。当たり前の事。これがなおざりにされている状況。今後戦ってきちんと放射能から子どもたちを守る、放射能から国民を守る、当然脱原発しなければならない。このことを実現する為に戦いたいと、国会で戦いたいと思っていたんですけども、残念ながら落選をいたしまして、今、新潟県地元含め全国各地で、様々なところで皆さんのいろんな思い、お話しをお聞きをしたりして。そしてまた特定秘密保護法案。保護法案じゃなくてもう成立して、そしてもう即刻公布されてしまいましたけれども、こういう問題点などについて様々お話しをさせていただいているところです。

 

今日は学校給食の問題ということで、皆さんこの給食委員会っていうことで、活動を精力的に続けてられてきたことに心から敬意を表したいと思います。

政権与党内での葛藤

3.11原発事故があった当時、私は民主党政権のど真ん中と言いますか、政権与党の内閣には入っていませんでしたけれども、参議院の国会対策委員長代理、そして予算委員会の筆頭理事ということで、政権のど真ん中にいたわけです。内閣に入っておりませんでしたけども、そういう中で非常に責任の重い仕事をしておりましたが、事故の後、その事故の状況、そして放射能の拡散の状況というものを、情報を入手することがなかなかできませんでした。だから「特定秘密保護法」なんて作らなくても、政府は、内閣はと言ったらいいでしょうか?霞ヶ関はと言ったらいいでしょうか?もともと秘密ありすぎるんですよ。本当に私のこの12年間の国会議員としての活動は、霞ヶ関からいかにして情報を、本物の情報を出させるか、ここにエネルギーを最大限使ってきたというその経験からしても「秘密保護法」なんかいらないんです。今だって秘密多すぎる。そういう事で・・・

 

そして我々国会議員、まぁもう国会議員じゃありませんが、当時その放射能についての知識がほとんど無かった。みんな手探りでした。心ある国会議員がみんな勉強した。だけど、勉強をしましたが、いわゆる御用学者のみなさんが、大丈夫なんだっていう話ししかしない人が多かったり、とにかく国会質問を作るにしても、与党として政策を立案するにしても、放射能の知識が本当に不足をしておりまして、必死でみんな勉強しました。

 

ICRPの勧告を最初から最後まで読んだりとか、様々な論考を調べてやりましたけれども、0ベクレルを目指すのか、0シーベルトを目指すのか、それはなかなか難しい。でもできるだけやっぱり被ばくさせない、特に子どもたちに被ばくをさせないためにはどうすればいいのかということで、必死になって勉強をし、全員ではありませんでしたけれども、これは大変な事態であるというふうに気が付いた仲間たちと一緒に、民主党 自分たちの政権なんですけれども、「政府の対応はおかしい」「何で1ミリシーベルトが急に20ミリシーベルトになってしまうんだ」と。子どもたちの20ミリシーベルト問題を、追及を、与党なのに国会で、予算委員会で、しかもテレビ入りのところで追及したっていうことで、もう怒られまして。もう森ゆうこにこれから絶対質問をさせるな!っていう官邸からそういう圧力が来たり。

山本太郎さんとの出会い

山本太郎さんと初めて会ったのは、全国から、特に福島県からお母さん、お父さんたちが「子どもたちの20ミリシーベルト問題を何とかしてくれ!」っていうことで、文部科学省の所で抗議行動をした時に、私も川田龍平さん、福島みずほさん、そして川内博史さん、四人で一緒に応援に行って、一緒に「文科省なんとかしろ!」って言って声をあげて。その私がマイクを持っている時に、大勢みなさんがいらっしゃって、その後ろ側に一人、すっごいもう本当に真剣な目で、直立不動に立っている青年がいた。どこかで見たことのある人だなってずっと思って・・・。そういえばこれメロリンQじゃないか?あの山本太郎さんだ!それが山本太郎さんとの出会いで、本当に真剣な眼差しをしていて。

 

そして参議院選挙で戦って勝って国会議員になってくれて本当に良かったなと思っています。みなさんもその山本さんを頼りに、なかなか進まないこの放射線防護の対策ということを更に進めていって欲しいというふうに活動してくださっている、そのみなさんの力がこれからも大切だというふうに思います。

学校給食問題の壁

民主党の文部科学部会。事故当時、文部科学部会で私は文科部会の一員ではなくて、普段は厚生労働、そういうところにおりましたので、文部科学部会、大体時間が重なっていますから行ったことはなかったのですけど、事故の後あんまりにもおかしいと。20ミリシーベルト問題、そして子どもたちに対する対策が何も進んでいないということで、文部科学部会に行って保養させるべきである、そして学校給食の安全対策をさせるべきである、それからまずは校庭の除染、そしてエアコンの設置というものを様々提言したんですけどもなかなからちが明かない。

 

仕方なく、何かもっときちんとしたものを提言しなければならないっていうことで、今も私のホームページで資料サイトに行っていただきますと、私が作った、本当は議員立法っていうのはみんな色々な人たちと一緒に話し合って議員立法を作って、それが成立するのが一番いいのですけど、その時は誰も賛同してくれる人がいなかったものですから、議員立法を法制局と相談して作りまして。学校における放射線防護対策というものを私案で作り、それを国会に提示をして。

 

そういうこともあってようやくエアコンの設置であるとか校庭の除染とか。それからリフレッシュキャンプ程度ですけど、保養とはまぁ言えないリフレッシュキャンプ。そういったような予算というものがようやく盛り込まれることになり、補正予算で盛り込まれることになり。

 

でもどーしてもね、学校給食の対策だけはだめだったんです、その時に。学校給食、これもう本当に食べるもの。私も矢ケ崎克馬先生を参議院予算委員会の参考人として、呼ぶ権利はあるわけですね、理事ですから。参考人として来ていただいてお話をお聞きをしたりして、これはとにかく食品を、クリーンなものを、できるだけクリーンなものを食べさせるのが何よりも大切だと。だから「学校給食」ったら子どもたちにとってものすごく重要なものですから、「学校給食」なんとかできるだけ汚染されてない食材でと思ったんですけれども。だめだったんですよ。民主党の中でも、文部科学部会でもみんなにボコボコにやられて。そんなことをしていると差別を生み出すとか、被災地に悪いとかそういう話になって、どうしてもみんなが賛同してくれなくて給食の問題だけが出来なかったんです。

森ゆうこ前参議院議員による議員立法私案「学校等における被ばく防護法案」

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文部科学副大臣就任~40ベクレル問題

9月になって野田内閣が発足して、文部科学副大臣という話をいただいて。元々内閣とやりあっていましたからどうかなと思ったんですけども、でも文科省に行けばこの給食の問題、これできると思って副大臣になって行ったんですけれども。皇居で認証式を受けて役所に行ってヨシッ!って思って、その晩遅くに大臣から職務の担当っていうのを割り振られた紙をいただいた時に、私の仕事から放射能の関係で子どもたちを守れるところから一切排除されていた時には、いやぁもう本当に「そっか、私を文部科学省が入れるわけないよな放射能の問題で」って本当にがっかりしましたが、でもここはそんなことで諦める森ゆうこではございません!

 

私の管轄外だけれども、何とか三次補正に学校給食の安全確保事業、1億円でもいいから、1千万円でもいいから、とにかく入れてもらいたい。その入れることが重要。学校給食の安全確保事業やるということ。国が基準を示さなきゃいけない。国がやり方を示さなきゃいけなくなる、ここが重要だと。ここが突破口になると、そう思いまして必死にあの時は、結果としてはわずか1億円の事業だったんですけれども、何とかその事業を三次補正に盛り込ませることができました。

 

あの時は本当にね、役所の人が頑張ってくれたんですよ。まだ詳しい事は今言えないんですけれども、自分たちが泥をかぶって、私の所に何か大臣から「更迭」とかね、言われないようにいろんな工夫をしてその事業をやってくれました。みなさんも覚えていらっしゃる方がいらっしゃるかと思うんですけど「40ベクレル問題」っていうのがあって、学校給食の安全確保事業をやる時に、私はもっと低い下限値でやりたかったんですけど、そうは言ってもまだあの時は暫定規制値が500ベクレルで、厚生労働省が100ベクレルを諮問している段階で、その100ベクレルという新しい基準に対しても原子力村から「厳しすぎる」と。暫定規制値が500ベクレル、それを100ベクレルにすると、福島とか放射性物質が拡散した地域の農業、産業がだめになるということで、100ベクレルでさえもその時は、どうなるか分らないような状況だったんです。

 

放射線審議会の委員たちが、委員たちに対して様々な形で100ベクレルは厳しすぎるんじゃないのっていう方向に結論をだすような圧力が、その当時いろんな形で行われていました。だから100ベクレルでさえ厳しすぎるって言ってる時に、私の安全確保事業は40ベクレルを実際には、最低でもそういうものを測れる機械を導入しなさいっていうものでしたから、けしからんということになって、予算は確保したものの実際の事業の実施の要綱というか、それを通知として出す段階になって大変な大臣とのバトルが起きまして。大臣は、私副大臣の、「森副大臣が言ったことは間違い」「文科省は数字の基準を示していない」というような趣旨のことを言い、私はそんなことはないと言い。そこで毎日、日替わりで読売新聞から毎日新聞、朝日新聞、最後は産経新聞でしたか。日替わりで社説とかいろんなところで私のやっている事が間違いだと。

世論の後押しと行政の努力

あそこは下手すりゃ更迭、そして学校給食の確保事業も頓挫するというような状況でしたけれど、ありがたかったのは文部科学省に全国から「森副大臣は間違ってない」「給食の安全確保事業をやるべきだ」という応援の多数のメール・FAX・電話などがあって、その世論は私のやろうとしている給食安全確保事業に賛成だっていうことを、役所もそういう後押しの声があるもんですから安心してやれる。だからみなさんの活動、こういった活動、そして役所に対して応援のメッセージ「こういうの頑張ってくれてありがとう!もっとやって下さい!」って、それがそういう仕事を後押しするということで。戦うのも大事なんですけども、いい事をやることに対して応援していますよっていう姿勢もすごく・・・元々は国民のために何かしようと思っている人たちですから、そういうことも是非考えていただきたいなと思います。

原発推進のために給食の安全が!?

残念ながら、自民党政権に移って、そして何て言ったらいいんでしょうね。何だかんだ言っても野田総理の時には「放射能から子どもたちを守る」というフレーズを、総理の姿勢方針演説のところに私の方から、”短冊”って言うんですけどね、そういうのを各省庁から集めて演説を作るんですけど、それを入れてもらった。それがもう無くなりました。無くなって、いろんな話がありますけれども、じゃあなぜこんな当たり前な、子どもたちに出来るだけ放射性物質の、放射能の汚染のない安全なものを食べさせる、子どもたちを放射能から守る。なぜこんな当たり前のことが出来なくなるのか?それは、放射線防護の問題と原発推進の問題、これリンクしている。原発を推進するためには「放射能の影響なんて大した事ない」って。「年間100ミリシーベルトでも大丈夫」「放射能の影響なんて怖くない」「ニコニコしていればどっか行っちゃう」こういう話で裏付けられないと原発は推進できないわけですよ。放射性物質は漏れたら大変。事故が起きたらもう取り返しがつかない。こういう事になってしまうと、まぁもうすでにそうなんですけど。そういう事を無視しないと原発は推進できない。だから原発推進派は「大したことない」「風評被害だ」「心配しすぎだ」とこういう圧力がかかってくるんで、肝心の学校給食・・・いろんな事業をやっていただきましたけれど、後戻りさせられつつあるということです。

子どもたちを放射能から守ろう!

事前に検査するのが一番いいんですけども、なかなか難しい部分もありますし、給食の事後チェック、横須賀市長さんが元々始めたんですけども。ミキサーにかけてきちんと管理していく。問題があったら何が問題なのか徹底的に追及して、問題を再発させないようにするという非常に有効な手段だと思いますし。そうですね、ただ0ベクレルっていうのは非常に難しいと思います。0リスクを求めるっていうことってのは、どんな問題でも非情に難しいと思うので、できるだけ綺麗な食べものを食べさせる。ベラルーシ、ウクライナでやったことが何で日本で出来ないんだ。

 

そして、肝心の事故を起こした東電も、そして国も、この問題についてまだ何も責任を取ってないじゃない。「子どもたちを放射能から守ろう」その声を上げ続け、みんなでネットワークをし、そして諦めずに。あまりケンカばかりしているとね、この人たちの話を聞くのを嫌だって行政も学校も思っちゃいますから、そこは少し上手にやりながら活動を続けていくことこそが子どもたちを守ることに繋がっていくと思います。私もその為にこれからも自分のできる活動を頑張りたいと思いますし、必ず子どもたちを守るために、国民を放射能から守るために、国会に復帰して戦いたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。今日は本当にありがとうございました。

 

 

生活の党森ゆうこさん、大変貴重なお話をありがとうございました。

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